人間として育っていく第一歩で、いちばん大切なのは何か、と問われた時、私はいつも「いちばん最初に赤ちゃんの消化器を通るものは、その子を産んだ母親の初乳であってほしいと思います。これがよりよい人間づくりのための育児の出発点として唯一無二の大切なことだからです」と言います。
ゼロ歳児のしつけのスタートは、母乳栄養と抱っこに帰着します。つまり、※母乳を与えながらのスキンシップは、育児にとってもっとも重要なことなのです。
生後すぐの赤ちゃんでも、一般に赤ちゃんはお母さんに抱っこされることがなによりも好きです。それは母乳を与えれば、ごく自然にできることです。赤ちゃんの心もなごみます。どうか赤ちゃんが欲しがるたびに抱いて、乳をふくませ、あなたの赤ちゃんをぜひ母乳で育てていただきたいと思います。
母性は、赤ちゃんが生まれてから目覚めてきます。出産は母親のスタートというわけですが、母性の確立は、授乳によってごく自然にできるのです。赤ちゃんに乳首を吸われると、その皮膚感覚が脳の情緒中枢を刺激し、母親らしい心を育てる役割を果たします。これが繰り返されるうちに、母性がしっかり強化されるからです。
最近のお母さんは、育児に自信を失っているとよくいわれます。不安を解消し、育児に自信を持てるようになるために、母乳を飲ませることは何にもまさる〝特効薬〟になってくれるのです。
自分の乳を飲んで空腹を満たす赤ちゃんを見ていると、母親は自分が、赤ちゃんにとってかけがえのない人間になっていることに気がついてきます。そこから自分の乳が赤ちゃんを育てているという、母親としての自覚と自信がわいてくるでしょう。こうして母と子が強いきずなでむすばれれば、もう育児ノイローゼなどにかかる心配もありません。この母子一体感が強すぎると、自分の子を客観的に見られなくなってよくないという意見もありますが、それよりまずお母さんが自覚と自信を持つことが大事です。
情緒不安定の子は、その根源をたずねていくと、生まれてすぐ母親の愛情に包まれる時間が少なかったのではないだろうか、育児用ミルクのためにスキンシップが不足だったのではないか、お母さんの温かい眼差しにさらされる時間が少なかったり、
育児用ミルクで助長されたアレルギーが、あとあとの人格形成にゆがみを残したのではないか、などさまざまな反省がなされています。
体の成長だけを考えると、育児用ミルクでも母乳でもそう差はありませんが、栄養を与えられて体が大きくなるだけを発育と思ってはいけません。栄養を与えるだけならロボットでもできますが、子どもの心の発達と体の成長を促してやれるのはお母さんだけなのです。母乳を与えるということは、子どもの心と体の発育にとってもっとも大切なことなのです。
また、母乳を初めて飲ませる時は、親子ともたいへんな努力がいります。ほ乳びんのようにちょっと吸えばサッと出る、というわけにもいかないので、赤ちゃんの努力もなまやさしいものではありません。この努力して欲しいものを得ることが、赤ちゃんの素晴らしい人間形成の第一歩となり、成長し独立するときの大きな力となることを忘れてはなりません。
バストがくずれるから母乳をあげるのはいやだ、という母親がいまだにいるとすれば、とても残念なことです。自分の都合だけを考えていたら、子育てはうまくいくものではありません。その結果は、十年先、二十年先にならないとわからないかもしれませんが、そのときになって子どもに泣かされるようなことになっても、もうとり返しはつかないのです。
<注釈>※母乳を与えながらのスキンシップ
母子相互作用の立場から、母乳育児をみると、母性の確立にとって大きな意義をもつことは明らかです。
【吸啜刺激】母乳育児においてもっともたいせつなのは赤ちゃん自身の吸啜行動です。それは、母親のみが体験する吸啜の刺激に対する感覚、それにともなう泌乳反射(場合によっては射乳反射)によって引き起こされる感覚をあたえ、母親としての意識、すなわち母性を確立させ、母としての気持ちをよびおこします。そういう意味でも、赤ちゃんの吸啜はきわめて重要です。母乳育児では、母親は子どもを胸に抱くので、顔と顔を向き合わせる体位をとります。これは赤ちゃんがその視力で母親の顔を十分認知することのできる距離でもあります。
【視覚】母乳育児においては視覚もたいせつな役割を果たしています。母と子はおたがいの顔の表情を見て、視線を合わせます。人間の乳房は胸部で突出しているので、赤ちゃんと母親は母乳育児にさいして視線を合わせやすいのです。
【触覚】哺乳しているときに赤ちゃんはじぶんの口唇や舌で母親の乳頭を感じ、さらに手で母親の体をさわったりします。したがって触覚、すなわち、口唇や乳頭という敏感な部分でおたがいがふれあうことによる母子相互作用の効果も大きいのです。赤ちゃんは口唇や舌で乳頭を刺激しながら、手で母親の体をさわることにより、母親はつよい感覚的な刺激を受けると報告されています。
【聴覚】赤ちゃんの聴覚は生まれたときに十分に発達しており、母親の語りかけに反応して手足の動きを同調させます。聴覚がたいせつな役割を果たすのは、赤ちゃんの吸啜行動の休み時間です。
赤ちゃんは吸啜、休み、吸啜、休みのくりかえしで母乳を飲みます。月齢とともにそのリズムがはやくなりますが、この休み時間に母親は赤ちゃんを軽くゆさぶったり語りかけたりします。反対に、このゆさぶりや語りかけがないと赤ちゃんが「アー」「ウー」などの声を出して、それを求めるようになります。つまり母乳育児においては、聴覚を介した見事な母子相互作用もあるのです。
また母親の聴覚もたいせつな役割を果たしています。赤ちゃんの「泣く」という行動は、じぶんの感情を発現する重要な手段です。母乳育児中の女性は、哺育していないときでも、赤ちゃんや幼い子どもの泣き声に敏感であって、とくにわが子の泣き声を聞くと乳房の血液循環が急激に上昇し、乳房が緊張し、泌乳反応をおこす場合さえあるといいます。
したがって 母乳育児では、母と子の双方の聴覚を介しても母子相互作用がおこっています。その意味でも、母乳育児は育児用ミルクによる哺育とはちがった意義があると考えられます。
【味覚】育児用ミルクではミルクの味は単一で変化がありませんが、母乳の味は月齢、個人差などによってその風味に変化があるものと考えられています。
赤ちゃんが吸啜をはじめると母乳分泌量は急速に増えますが、この間には母乳中のタンパク質の濃度に変化はほとんどみられません。しかし、脂肪の濃度、母乳じたいのpH、さらに母乳のなかにふくまれるタンパク質以外の乾燥成分重量(母乳を乾燥させたときに残る成分で、タンパク質、脂肪、糖のほかにミネラルなど)は増加します。したがって、片側の乳房で行う一回の哺乳でも、その過程で母乳の風味が時間的に変化するといえます。
※育児用ミルクには、
母乳の代替として飲用に供する乳児用調製粉乳(粉ミルク)と
乳児用調製液状乳(液体ミルク)があります。
母乳が出ないお母さんや、災害時には、とても大切な育児用ミルクですが、
生まれてすぐの赤ちゃんに初乳を与えず育児用ミルクを与えると
下痢や呼吸器の感染症にかかりやすくなります。
また、乳児期に食物アレルギーを起こすことも
小児科医師として何度も診てきました。
二〇一九年の市販品の液体ミルクの商品パッケージには、
「アレルギー物質(27品目中)乳成分・大豆」と注意表記があります。
また、「許可表示・母乳は赤ちゃんにとって最良の栄養です。液体ミルクは母乳が
不足したり、与えられない場合に母乳の代わりをする目的で作られた
ものです。」とも商品パッケージに記載されています。
同年の市販品の粉ミルクにも「許可表示・赤ちゃんにとってはお母さんの
母乳が最良です。母乳が不足したりあげられないとき、安心してお使い
いただけます。」と育児用ミルクの商品パッケージには、
共に適切に表示されています。
緊張はするけれども、すぐくたびれてぐたっとなってしまう
という子どもが、私たちの目の前にひじょうに多いのです。
これはやはり食物と関係があるようです。
スタートから初乳を与えず育児用ミルクであった場合で、
その子どもが大きくなって牛乳を常用した場合に、
こういうことが多いように思います。
牛乳や小麦粉アレルギーをもつ子どもが食後すぐに運動すると
アレルギー物質の吸収が高まり、蕁麻疹や呼吸困難になることも考えられます。
〈湿疹〉についていいますと育児用ミルクのほうがはるかに多いし、
強くなります。
そういうものができていると睡眠が浅くなる。
それだけでも、
自律神経の中枢の問題からいっても、
睡眠が浅いということはいろんな点で神経質になるもとではないでしょうか。
人工栄養児はだいたい、神経が緊張しがちで疲れやすい。
そうすると、緊張のあとはぐたっとなってしまい、
その間は何も遊びをしたくない、何も覚えたくない、
何も行動したくないという時期がかならずくるわけなのです。
疲れやすいものですから持久力や集中力というものが期待できなくなります。
生まれてたての新生児には、少なくとも初乳を与えてください。
育児用ミルクを与えると、ひじょうに電解質が多くなっていく、
というような状態になります。
この状態があると、
どうかすると熱帯夜でなくても︿夏季熱〉状態になることがあります。
これは冷たい水でも飲ませると一時的には下がりますが、
また翌日起こってくるということになります。
こういうことから
「人工栄養児には水を」ということが一応叫ばれるわけですが、
水だけやっても腎臓の疲れは残ります。
やはりこういう場合も、母乳のような適当な電解質の濃度、
たんぱくでも、いろいろと神経を剌激しないようなたんぱくが
プラスになるのではなかろうかと思います。
私が前に試みたことですが、
たまたま神経を落ち着ける薬として発売され始めたクロルプロマジンを、
〈夏季熱〉のひじょうに高いのが続いている人に
ほんのわずか注射してみましたところ、
一日、二日で〈夏季熱〉が下がってしまった、
ということをたくさん経験しました。
このことは、そういう、血液の電解質が高くても、神経が落ち着いていれば、
〈夏季熱〉はむしろ高くならないんだということを、
意味しているのではないでしょうか。
このようなことから考えても、
自律神経の不安定ということが、
人工栄養児にはどうしても起こりやすい、
ということをよく心得て育児をしないといけないのです。
自分たちが楽な育児の道具や方法を考えることは結構ですけれども、
同時にそれは、
将来おとなになる者のためにいちばん考えなければならないわけです。
少なくとも母乳で生後二週間はがんばることの
重要さを述べておきます。
<注釈>※育児用ミルク
昔から母乳で育てられた子どもは病気につよいといわれてきましたが、確かに育児用ミルクで育てられた子どもは、下痢や呼吸器の感染症にかかりやすく、衛生状態のよくない発展途上国などではしばしば命とりになることがあります。これは、母乳によって母親から免疫グロブリン(IgA)をもらうことができなかったためともいえます。しかし、人工栄養児が感染症にかかりやすいということには、生活環境、すなわち清潔な上水道や下水道の維持・整備などにも感染症は関係することを国や地方自治体、民間企業は忘れてはなりません。
二〇一八年に、厚生労働省の許可基準等に適合した乳児用液体ミルクを事業者が製造・販売することが可能になりました。常温保存ができ、粉ミルクのようにお湯もいらず、大変便利で、一回ずつ飲み切れば無菌状態のミルクです。液体ミルクは、乳児用調整液状乳と呼ばれ、生乳、牛乳若しくは特別牛乳、または これらを原料として製造した食品に乳幼児に必要な栄養素を加え液状にしたものと厚生労働省の省令に記載されています。液体ミルクは粉ミルクと同じく動物の乳などが原材料です。外出時や災害時の緊急時には大変重宝ですが、母乳の出るお母様には非常時以外は母乳育児を続けてください。