Koby's Note アップリカ育児研究所 最高顧問 小林登

小林 登のイメージ

アップリカ育児研究所 最高顧問
小林 登
東京大学名誉教授
国立小児病院名誉院長
東京大学医学部卒業、医学博士
アメリカ、イギリスに留学
1970-1984年 東京大学医学部小児科教授
1984-1987年 国立小児病院小児医療研究センター初代センター長
1987-1996年 国立小児病院院長(定年退官)
定年退官後、臨時教育審議会委員、中央薬事審議会委員、 人口問題審議会等委員、日本小児学会理事、日本アレルギー 学会理事、国際小児科学会会長、日本赤ちゃん学会初代理事長、 甲南女子大学国際子ども学研究センター所長、日本母乳哺育学会理事長、日本子ども虐待防止学会理事・会長、厚生省母子相互作用の臨床応用に関する研究班班長など多くの政府役員、学会役員を歴任。現在日本子ども学会名誉理事長、チャイルド・リサーチ・ネット名誉所長。アップリカ育児研究所 最高顧問。アメリカ、イギリスの医師からKobyという愛称で親しまれる。
著書に「20世紀後半の小児科学を考えるKoby’s Note」東京医学社、「子ども学」日本評論社、「新小児医学大系 全41巻」共同編集 中山書店、新「育児の原理」監修 「母学Motherology赤ちゃんを知る。そして母になる。」アップリカ育児研究所 等。著書、訳書、監修、編集多数。

アップリカ育児研究所はチャイルドケアリング・デザインを提案します。

 「チャイルドケアリング・デザイン」“child-caring design”、略してCCDですが、子ども達のことをケア(care)してデザインすることです。
ここでいう“care”とは、「気にかけて」、「注意して」、「心配して」、「親身になって」などの意味なのです。
 子どもに関係するモノやコトのデザインに、現代の社会では、残念ながら子どものことを充分に考えていない場合が極めて多いのです。
殆どが、大人の都合によって、しかも男性の都合によって作られています。ビルのような建築物や都市計画のようなモノばかりではなく、法律のようないろいろなコトもあります。例えば最近問題になった、離婚成立後三百日以内に女性が生んだ子どもは、法律的に離婚前の夫の子どもと認定されたという事件もありました。母親は勿論のこと、子どものことも全く考えられていない法律と言えましょう。別の視点から見れば、ハードウエアの建築物のようなものも、ソフトウエアの制度のようなものも、子どもが関係するならば、子どものことを良く考えて、チャイルドケアリング・デザインしなければならないと言えるのです。
  もう大分前の事ですが、1970年代はじめ、アメリカのシアトルで、そこの大学の小児科教授であった友人のオルドリッチ先生(R.Aldrich)が、子ども達を議員に見立てて市内を視察させた上、子ども達に議会も開かせて討議させ、シアトルを子ども達にとって、住み良い町にしようという運動を行ったことがありました。“Kid City”というプロジェクトです。その結果、良くなったことのひとつに、街路が清潔になったというのです。これもチャイルドケアリング・デザインの特殊なひとつのやり方と言えるのでしょう。今考えると、40年もの前に、このような方法でチャイルドケアリング・デザインが行われた事に、感銘をうけます。私も、国際小児学会会長の時、東京で「都市と子ども」という国際会議を、理事会と並行して開催したことがあります。1981年のことでした。
 当然のこと乍ら、子どもを育てるという人間のいとなみである育児・保育・教育の在り方も、チャイルドケアリング・デザインしなければならない最も重要なものです。それには、制度も、建築物も、子どもたちの生活の世話の仕方、教育の仕方もふくまれます。
 まず、育児、保育、教育のチャイルドケアリング・デザインのために、その本質を考えてみたいと思います。しかし、これもなかなか難しい問題ですが、まず、基本から考えてみましょう。「ヒト」は「生物的存在」であり、同時に「人間」として「社会的存在」でもあるのです。したがって、「生物的存在」として生まれた子どもが、「ヒト」から「人間」になるには、家庭、学校、社会の中で、「社会的存在」として育てなければならないことは、何人も理解されるでしょう。その、子どもを「育てる」という営みである育児・保育・教育は、生物的側面と社会的側面を合わせもった人間の技術であるともいえます。その中で、育児は、家庭で行われるので家庭技術と言えるかもしれませんが、保育・教育は社会で行われるので社会技術なのです。それをより良いものにするためには、当然「子ども生命感動学」が柱になると私は考えているのです。それなしには、子どもにとって楽しい育児・保育・教育にならないからです。
 しかし周知のとおり、わが国の子ども達の現状を見ると、家庭、学校、社会のあらゆる局面で多様な問題が起きています。その根幹には、二十世紀に入って歴史とともに発展した科学・技術による文化の文明化が、わが国でも急速に進み、育児、保育、教育の在り方と豊かな社会での生き方との間に大きな齟齬を来していることがあります。いまや「ヒト」と「人間」の本質的理解に立って育児、保育、教育をとらえ直す必要があります。
 「子どもを育てる」という人間の営みは、子どもを社会的存在に育てる社会技術として見ると、おたがいにオーバーラップしていますが、年齢順に育児、保育、教育とに分けられます。いずれも「育」という字が付いている点が重要で、その基盤には多くの共通点があります。それは、「育てる」ということにあると言えます。私見を基に、それらを定義してみましょう。
 育児は、親が自らわが子を、あるいは親に準ずる血縁者が子どもを家庭に準ずる場で、成人として社会的存在として完成するまで育てることを指します。しかし、出生直後から始まる、言語機能も運動機能も充分に発達していない乳幼児の生活の世話と遊びが中心の技術を指すのが一般的です。「育児」の「育てる」は、英語の“raise”であり、育児は英語にすると“child care”にもなるのです。次に述べる「保育」は普通は“nursery”ですが、アメリカでは有料の保育を“child care”とよび区別出来ません。しかし、この十年来“parenting”という言葉が出て来ましたが、親としての全てで、当然「育児」も入ります。「親業」のような「育児」より一寸大きな意味があると考えるべきかも知れません。
 育児と言うと、母親の仕事と言う風に考えられますが、現在は、もうそんな分業が成り立たない時代かも知れません。最近宇宙を飛んだママさん宇宙飛行士の話を聞くと、それがよくわかるのではないでしょうか。確かに、私達の遠い祖先が生活していた狩猟・採集の時代、それにつづく農耕の時代は、男性は外で仕事し、女性は家の中で生活を維持し、子孫を残すために子育てするのが、最も良い方法だったのかも知れません。しかし、18世紀、19世紀に入り科学・技術が進歩し、そのおかげで物質的に豊かになった20世紀、21世紀では、例外を除けば男女の能力は同じで、夫々の能力を駆使して豊かな社会を維持し、子育ても、家事も、男女が仲良くやっていかない限り、平和な家庭を維持できない時代になったと言えます。したがって、女性が結婚して妊娠し母親になるマタレスセンス(成母期、materescence)より以上に、男性が結婚して子供が生まれ、父親になるパタレスセンス(成父期、paterescence)も当然考えなければならない時にあります。
 その昔、子どもは親、とくに母親が育てるものと一義的に考えられていた時代の「保育」は、母親が育てることが出来ない、すなわち保育に欠ける子ども達を施設(保育所)に集めて、保母が代わって世話をするのを保育とよんでいたわけです。しかし、女性の社会参加が大幅に進んだ現代社会では、保育は社会技術として、育児を補完するものと考えるべきです。昔の考え方では、現在医師不足で問題になっている女医さんの子ども達も場合によっては保育に欠けることになります。そんなことのないように、保育は積極的な子育てに位置づけるべきものと考えます。
  したがって、現在の保育は、親の育児の援助を目的に、保育園のような社会施設で、乳幼児中心に保育士のような専門家が、限られた時間、遊びなどを含めて乳幼児の生活の世話をして、教え育てることを指します。もちろん幼児になれば、しつけを含めた教育的な意義も大きくなります。保育の教育的側面は決して小さくなく、就学前教育のひとつとして位置づけられ、学校教育との連携が重要です。
 保育も今や、働く母親にとっては、常識的な方法になっていますが、保育士の能力が良くて、母子分離は余り長くならなければ、子どもの体の成長や心の 発達は問題ないというデータが、アメリカから出ています。保育時間の問題は、女性を雇う側の企業の問題でもあり、保育を社会制度としてよりよいものにするには、企業側の意識ばかりでなく、企業に対する法律の整備も必要になると考えます。母親がなくなった為、他の女性が母親として育てた子どもが立派になって社会的にも貢献している事例は、日本でも沢山あります。何年か前ノーベル賞を頂いた方さえありました。
 教育は、言語機能も運動機能もある程度発達した、ある年齢以上の子どもを、学校などの施設で教育の専門家が年齢に応じて、生活の知識や技術を教え育てることであります。幼稚園は就学前の教育施設ですが、保育の教育的側面の重要性を考え、現在、幼保一元化が進められています。しかし、何故かすんなりとはいかないようで、保育が幼児教育を取り込んで保育にするか、幼児教育が保育を取り込んで教育するかの戦いのようにもみえます。私個人としては、まず教育と保育の理論を一元化することから始めるべきと考えています。おそらく、それには、保育を教育にする方が、いろいろな面でやり易いと思います。生活の世話の大きい教育を保育とし、それが年齢と共に小さくなった教育を幼児教育にしたらよいと思います。その上で、地域の特性に応じて、いろいろなかたちの施設をつくり、それぞれの家庭が利用しやすい様にするのです。子育てをする親の生活パターンは決して単一ではなく、多様なのですから、それぞれに対応できるようにする必要があると思うのです。それには、保育園、幼稚園の在り方も多様にしなければならないと思うのです。
  ここで、「子ども生命感動学」からみた育児・保育・教育を考えてみたいと思います。言葉が発達する前の乳幼児期の育児と保育では、「優しさ」を中心にしなければなりません。言葉はまだ充分発達していないので、タッチング、スキンシップは勿論のこと、「おんぶ」「だっこ」「高い高い」などの行動全てが関係します。言葉がわからなくても、こう言った行動のやりとりの中での、優しい言葉による語りかけは重要です。それは、子どもの言葉のプログラムを働かせるばかりでなく、親から受け継いだ遺伝子による体のプログラムを中心に基本的ないろいろなプログラムの働きを高めるからです。
  子どもが持って生まれた心と体のプログラムを組み合わせるには、それを働かせながら行うことが重要だと思うのです。プログラムを働かせるには、優しさによる人間的なふれ合いは勿論のこと、建物やグランドの明るさ、動物や花や樹木の存在など、子どもにとって良いポジティブな情報環境が必須なのです。それなしには、脳の中に分散している心の基本的なプログラムの集中化を進め、連合野を発達させ、前頭葉の支配に持っていく中枢化も進展させることはできないと思います。
 保育園や幼稚園の教育的側面も含めて、言葉が発達してから受ける教育は、言葉による「理性の情報」によって、すでに完成されたプログラムをより良くする方法といえるでしょう。しかし、それは「言葉のやりとり」によってプログラムを働かせながらそれが行われることを考えれば、当然のことながらプログラムを活性化する「感性の情報」の言葉のやりとりの中で果たす役割も重要なのです。
  したがって、育児、保育、教育の場における子どもにとって、年齢に応じて「遊ぶ喜び」、「学ぶ喜び」、そして「生きる喜び一杯」になれる日々を送れるようにすることが重要なのです。赤ちゃんの時は、「遊び」と「学び」は一緒ですが、それが年齢とともに学校に入ると別々になってしまいます。しかし、「遊び乍ら学ぶ」、さらには「学び乍ら遊ぶ」という方法も、チャイルドケアリング・デザインしなければならないのではないでしょうか。
 勿論、優しさだけではなく、子育てのいとなみの中には、子どもをしつける、そのために叱るという行為が当然あっても良いと筆者は思います。勿論、暴力にならない範囲でなければなりませんし、子どもが言葉によるコミュニケーションが充分出来るようになってからですが。社会的な存在となるには、それなりにやっていいこと、やってはいけない事を理解しなければなりませんので、子ども達に、その規範を教えることは極めて重要です。
  そこに必要なものは、しつける人、叱る人のその子どもに対する、親としての、保育士としての、更には教師としての愛情であり、優しい目なざしなのです。その優しい目なざしなしには、しつけも効果を発揮出来ません。また、子ども同士の交流の重要性も考えなければなりません。子どもと親、また子育ての保育・教育の専門家との関係だけで子どもは育つものではないことも、忘れないで頂き度いと思うのです。
 本ノートは、余りまとまりのよくない話になってしまいましたが、育児・保育・教育、特に小さい子ども達のその在り方には、女性の発想が重要であることも、ここで一言申し上げたいと思います。女性は、ライフステージの中で妊娠・分娩し育児で子どもが成人するまで、いろいろと世話するといういとなみを、人間の長い歴史の中で実践して来たという体験の積み重ねがあります。その上に、生命のバトンタッチそのものである生物的使命を担っているという事実も重要であると思うのです。しかも、ラファエル女史の指摘のように、女性は英知を絞って人間の歴史の中で、助け合って夫々の文化の中で、その社会的ならびに生物的な責任を果たして来たのです。そう考えるとそこから湧き出る発想が、貴重と思うのです。わが国でも、全国でいろいろなかたちでNPOとかボランティアとして行われている子育て運動をみると、つくづく女性のアイディアは素晴らしいと思います。ですから、女性の方々には、育児・保育・教育のチャイルドケアリング・デザインに積極的に発言して頂きたいと思うのです。社会のいろいろなフィールドで大きな力になることには間違いありません。
 現在の我が国の子育て事情を考える時、特に3・11東日本震災、また原発震災を考える時、今われわれは、子どもたちの目線に立って、「子ども学」を柱とする学際的さらに包括的な研究を進め、育児、保育、教育のチャイルドケアリング・デザインを考え直さなければならない時にあります。その柱になるのが、「子ども生命感動学」であると信じています。決して充分とは思いませんが、それに役立てればと願って筆をおきます。

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