母子相互作用でプログラムにスイッチが入ります。母子相互作用は、人類が進化の過程で獲得した多彩な育児のプログラムを作動させて行う、目、耳、鼻、舌、肌などを介したお母さんと赤ちゃんの感覚器のコミュニケーションです。そのプログラムが作動し機能するためにも、お母さんと赤ちゃんの精神・心理状態は平安でなければなりません。
育児でもっとも本質的な親子関係が、新生児期さらに乳児期とくにその初期に確立される母子関係から始まり、父子関係に拡大されて完成されます。この母子関係は、人生で一人の人間が一生のあいだに結ぶいろいろな人間関係の原型と考えられます。母子関係が早い時間で確立しないかぎり、育児は成功しないと考えられます。お母さんと赤ちゃんのきずなは、お母さんの子どもに対する愛情と、赤ちゃんのお母さんに対する愛着から成り立っています。
このきずなをつくるためには、まず、赤ちゃんが生まれたら、お母さんの積極的なはたらきかけが重要です。お母さんのこのはたらきかけは、教育によってつくられるのではなく、スキンシップのプログラムによるものなので、出産後すぐにお母さんと赤ちゃんはいっしょに過ごすことが大切です。
そしてこの母子関係を確立し、完成させるためには、お母さんと赤ちゃんは感覚を介して、おたがいに行動によって影響しあう相互作用が必要です。これを母子相互作用といいます。母子相互作用によってお母さんと赤ちゃんの心と体のプログラムにスイッチが入ります。お母さんには母乳の分泌が、赤ちゃんには心と体の栄養が注がれて、赤ちゃんはすくすくと心と体が発達・成長していきます。感覚器のコミュニケーション「母子相互作用」が、赤ちゃんの発育の基本です。お母さんからは、「笑顔で赤ちゃんの目を見る」「抱っこ」「なでる」「語りかける」などのはたらきかけ―刺激のインプットが必要です。また、お母さんが赤ちゃんを認識し母性を確立するためには、赤ちゃんからの「泣く」「笑う」「手足を動かす」などのはたらきかけ―刺激のインプットが必要です。
お母さんの赤ちゃんに対する母性の獲得にとっては、分娩後1~2週間という比較的限られた期間が重要ですが、赤ちゃんのお母さんに対する愛情は、1年くらいの比較的長い時間が必要であると考えられています。動物では、短い期間におけるインプリント(刷り込み現象)の重要性が示されていますが、ヒトは不明な点が多いのです。といっても、インプリントされる可能性は否定できないので、出産直後の期間はお母さんにとっても赤ちゃんにとっても大事です。この限られた期間をお母さんと赤ちゃんの感受期“sensitive period”と呼びます。
お母さんは、妊娠期間の後半になると胎動を感じます。産んでからはスキンシップゆたかな子育て行動をとります。新生児や乳児は、お母さんの子育て行動によく反応します。この母子間の感覚器のコミュニケーションによって、お母さんは子どもへの愛情をつちかい、子どもはお母さんに対する愛着や愛情をおぼえます。これが母子相互作用で、母と子のきずなをつくる大きなしくみです。「吸い込まれ現象」ともよばれています。
このような相互作用はお父さんの場合にもあてはまります。お父さんがお母さんとおなじように子育てに積極的に参加することで、子どもとの相互作用がおこり、父性愛が確立すると考えられています。これは、お母さんとは少し違い、「のめりこみ現象」とよびます。
親子の間はこの愛情によって心のきずながつくられますが、スキンシップなど感覚的なものがとくに重要です。生まれてすぐに母親から離し、哺乳ビンだけで機械的に飼育したサルの実験があります。このような子ザルを数匹一緒にすると、ふれあいを求めるかのように、肌と肌を密着させて片隅にすわりこみます。また、サルとしての普通の行動ができず、集団生活ばかりでなく性生活もできなくなります。一方で母親に普通に飼育された子ザルを数匹一緒にすると、自由に遊びまわります。
このように、母子相互作用は、生まれた直後からのスキンシップなどを中心とする赤ちゃんの感覚器へのはたらきかけと、それに対する赤ちゃんの反応行動のやりとりによって、母と子のきずなができるという考えです。お母さんは、赤ちゃんにはたらきかけるほど、赤ちゃんをかわいいと思うようになり、愛情が深まります。
このはたらきかけに対して、赤ちゃんは目でみつめかえしたり、笑ったり、強く抱きついたり手足を動かしたりして必ずこたえてくれます。ことばを理解できなくても赤ちゃんは誕生直後から、そのようなはたらきかけにこたえる能力がプログラムされているのです。
こうした、お母さんと赤ちゃんのあいだにとりかわされる合図行動(シグナル行動)と反応行動(レスポンス行動)のやりとりによって、心のきずなができます。お母さんは子育てに大きな喜びと生きがいを感じます。赤ちゃんはすくすくと育ち、お母さんに対して愛着を深めていきます。